弘前GW 壱
2010.05.14
前回のブログ
悲しい~じゃないですか・・・・
思い出しちゃった。
ってガキじゃないんだから誤魔化さなくてもいい様な気もしますが、
皆様に御心配頂きやはり書かなければ良かったかなと、思っておりますが、
電話を頂いたり、声を掛けて頂いたりした気持ちを
立ち上がる力にしなくては!と
ロマンチックな私は、ありがたく思っております。
GWからは時間が過ぎて、
チョット遅くなりましたが、今回は、
弘前簡単画像報告その壱。
岩木山神社の龍に、前世で縁があったといわれた私。
言った方が信用できる人なのと、私が単純な為か、
物凄く落ち着く場所。
雨の為岩木山が見えなかったのもまったく気にならない。
土砂降りだったけど、それがとても良かったです。
左右に樹齢の古い松や杉が恐ろしい大きさで、
盆栽の理想のような自然の形で、荒れて力強く立って居る。
こんな盆栽が欲しいと、作ってみたいと思ったり、
到底出来ないし無理だと思ったり。
黒澤の「羅生門」みたいでしょ?
ねらってみました。
雨がね~素晴らしい。
狛犬や餓鬼の面白さは、ぜひ現地で味わっていただきたい。
やっと入る感じですけれども、
庭の適度に自然な、趣や、細かい造詣は、
私が縷々述べることでもないし、知識も無いので、
下手な画像を見せるより機会がありましたら
ぜひ現地で確かめてください。
雨の日もとてもよかったですが、
晴れた日の、門の上に、天に突き抜けるように見える、
出来れば早春でしょうか、雪をたたえた岩木山は
素晴らしいです。
これを書いてたりしたのかな?
そして念願の弘前城へと向かうんですが、
土砂降り。
明日もあるし、他に行きたいところも沢山あるし、で、
明日に順延。
お堀の周りで渋滞に巻き込まれる。
風と雨でか、提灯が曲がっているのが、不景気くさくていやだな。
そして青森市に向かっていると、
虹じゃないですか!(パールライス)
晴れてきたと思っていたら。
爽やかに虹が断りも無く勝手に現れた。
楽しい~って勝手になってくる、車運転してるだけなのに。
盛り上がってバシャバシャデジカメを運転しながら撮る。
すごいな~虹って。どうなってんだろう。
詳しく説明されたくもないし、分かりたくないんだけど。
やっと来ました「棟方志功」
東北では誇れる人だし、縁のある青森にある記念館に、
いままで来なかったのが不思議だけど、
寺山修司ほどのめり込めなかったし、
太宰治ほど病気にはならなかったし、
ナンシー関ほど、残された著作をゆっくり読みたいとは思わなかったからか、
今までなかなか来れませんでした。
私はやはりサンパウロ・ヴィエンナーレ版画部門最高賞を受賞した
「釈迦十大弟子」が一番好きで、
その後の、肉感的な仏様と、言葉が詩が相まっている作品は分かり辛く、
仏教や詩は「肉感的」だと言うより、「肉感的」でしかない!と思うのに
何か受け入れがたく、自然に「素晴らしい」と思うより、
何がしかの納得できない感じが残るのは、
「棟方志功」の作品の好き嫌いと言うより、
その後に続く、民芸流れの、
焼き物で地蔵菩薩の様な者を作り売っている焼き物作家や、
簡単な筆さばきで地蔵菩薩や、観音菩薩を和紙に書き、
仏教の霞を商売にしている人々の、(チョット時代が飛びすぎてますが)
その作品らしきものに嫌気がさしているだけであって、
「棟方志功」作品の素晴らしさはどれを見ても
素晴らしいのは疑いの無いことであって、
後継者は何も受け継がない悲しさが、
民芸方面には、商売的に現れているのが、
悲しいというより、やはりそうだよな、と思ってしまうし、
今はそう言う時代だよと思うけれども、
それはそれで時代後れになって来ていることも事実である。
本物はやはり誰にでも分かると言う大前提は変わらないと思うし、
その他大勢が居なくなっても
棟方志功は残り続けるだろうと思う。
そんなこんなを考えつつ表に出たら、
またしても
虹!
さっきいなくなった虹がまた現れた。
ここで私は何を感じればいいのだろうか。
一日に二度の虹を見て、生活の基盤にいない土地で、
新たな想いだろうか、望みや願いだろうか。
神を感じることもあるかもしれない。
虹はたぶん何も表してはいないだろう。
たまたまだ。
私は私でしかないし、虹はたまたまだ。
現れた物が全て真実だというのは嘘である。