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震災2 一ヵ月後

あの日からあっという間に1ヵ月立ちました。
と言いつつ
あっという間だったのか、長い時間だったのか、
私には良くわかってないかもしれません。

ブログも書けない、書きたくないと言うより
書ける状況をなかなか作れないで居ました。
物理的な意味なんですが、
私は一人になれないとブログは書けません。
今日はたまたま出来たというだけで、
今後はまたどうなるか分からない状況でもあります。
そして、悲惨な状況にいる方のブログなどを見るたびに
自分には発信するようなことは何もないんじゃないかと思いました。
今必要なのは現地の生の声で、
安否情報、必要な物とか、被災状況などではないか、
私にはそれを提供できる状況ではない。
私は何十年か住んだ、多賀城の実家が津波に飲まれたが、
流されはしなかった。
殊更それを「私は大丈夫、頑張ります!」と
ドラマチックにもしたくなかったし、
それをしなければならない程、打ちのめされてはいなかったと思う。
海水やヘドロに胸まで浸かった家を、何とかしなければとは思っていた。
ただ、その程度の物である。
ここで我が実家の画像でも載せられれば良いんだけれど、
3月12日に多賀城に両親を探しに行ったときには、
あまりのことに、画像を撮れないでいた。
古臭い人間だなと思いつつ亡くなった方に不謹慎に思えて。
その何日か後に行った時には思い切って撮ったのだが、
IPHONEがイカレテしまったので画像は無い。

私の過ごした時間を少し書かせてもらえれば、
姉の家に車だけで逃れていた両親と共に自宅に戻り
他の人と同様、食料と、ガソリン、灯油の調達に追われていた。
両親は知らないところでどうして良いか分からないようだったし、
津波が来た後の自宅を見た両親には、なんとなく思い出させないように、
私たちは気を使っていた所があったと思う。
時折ニュース映像を見て頭を抱えている両親の気持ちはいたいほど分かっていた。
そんな中、多賀城に行っても先の見える状態ではなかったし、
店、両親とのギクシャクした生活を何とかしなければ、と
思っている3月18日父親の長兄、叔父が老衰で亡くなった。
悪いとは聞いていたのだが・・・・・
その他の兄弟が九州や、すぐ来れる土地にいない為、
末っ子の父はかなり動揺していた。
自分の建てた家の状況整理が付かないまま
何とか責任のような物を果たそうとしているようだった。

叔父は積んでいた泉の葬祭会館が一杯で、家具の街の葬祭会館に回された。
喪服を取りに行きたいとごねる父をなだめながら、
その日は着の身着のままで駆けつけた。
お通夜はなし。
火葬もまだ見通しが立たないという。
二週間ぐらいはここに置いておくという話だった。
「俺にとっては、友達でもあり、兄弟でもあり、親だった」と言った
父の言葉が印象的だった。
父が6歳ぐらいの時には両親は亡くなっていた。
一回り年の離れた叔父は文字通り私の父の、お父さんのような
存在だった時もあったのだろう。
子供の時は一緒に遊び、青年期は相談に乗り、悪さもし、
そして全てをあたたかく見守る父親のような。
父も、叔父の子供達も怒られたことは無いといっていた。
そんな叔父だったのは良く私にもわかる。
私には生まれた時から祖父母と言う人がいなかった為(母方も生まれた時には亡くなっていた)
おじいちゃんにメッセージをと敬老感謝の日に言われた私は、
叔父にメッセージを書いた。
それをとても喜んでくれて、はがきが届いた日に、
まだ学校から帰っていない私に、何度も電話をくれていた。

自宅の被災、長兄の死、先の見えない生活。
今ならなんとでも言えるのかもしれないが、
叔父の火葬が決まった29日の朝7時頃車に乗った父が
突然胸を押さえて苦しみだした。
胸を押さえ苦しそうに息をゼーゼーさせている。
もうその時には顔色は真っ青だったのだが
私はとりあえず車を走らせて葬祭会館に向かった。
到着してもシートを起こせないでいる父の顔色は、
舞妓さんのように粉を吹いたような真っ白な色だった。
さすがにやばいな、今救急車を呼ぶべきか、と悩んでいたが
「大丈夫だ」と父が言う。
2階に上がり親戚と「苦しかったんだよ」などと話をしている。
私は大丈夫になったんだと、思いたかったのかもしれない。
何とか叔父を火葬場に送り出した父の顔色はまだ真っ白だ。
その時間が今思えば悔やまれるが、
簡素化されていて、早く終わったのが良かったのかもしれない。

そのまま父を連れて北山のとても良いと評判の先生のところに連れて行ったら、
「心筋梗塞です」と「その波形が出ています」と
複雑に波打った心電図を見せられた。
母はとても心配症で心配の種を見つけては心配しているような人なので
母の顔を見た。
そんな時の母は気丈に振舞うようにするのが常なのだが、
今回はさすがにと思ったのだが、嘘でも気丈に振舞おうとしているのが分かった。
由紀子はどうだろう。
この病院のことも彼女のおかげなのだが、
私の両親を気遣うあまり疲れてるのではないか。
しかし、彼女はいつもの彼女に見えた。
そう振舞ってるかも知れない。
私だけしか知らない彼女の弱い部分もあるのだから。

救急車で搬送する、とのことで待っているのだがなかなか来ない。
来たのを確認して厚生病院へ。
すぐにカテーテル手術をして事なきを得たように思う。
その後の入院生活や私たちのお見舞い日記的な物は
他にも一杯あると思うので割愛したい。

そして10日後父は退院し、また私たちの新坂町で生活している。
散歩を促されてしているようだが、
車を運転して多賀城に行くとは今の所言わなくなった。



お店もまだ復帰未定な状況です。
そろそろ行ければと思っておりますが、
実家の片付けなどで、開けられない日もあるかと思います。
今月中にはなんとかしたいと思っておりますが。

私が思うに骨董とは癒しなんです。
その物を、器でも、家具でも、仏像でも何でも良いですが、
物をそばに置くことによって得られる気持ち。
それが安らぎであればいい。未来であって欲しいし希望に変わって欲しい。
これを使ってこの後何をしようか、と言う未来への楽しみのひとつなのだと思います。
おいしい食材を盛る器でもいい、少しのコレクションを飾る棚でもいい、
古い物を持つことによって見えてくる未来。

大げさな復興とかはよく分かりません。
百年後に耐えられる街づくりとか今は何も響きません。

小さな花で良いんだと思います。
綺麗だな、とか、かわいいなとか、
ふっと笑みがこぼれるようなものが。

あの瓦礫の街を歩いていくのに必要な物は。









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